至誠通天

良い行いも悪い行いも、お天道様はご照覧

だんだん辛くなって来た

威勢よく始めた新聞配達でしたが、日が経つにつれてだんだん辛くなって来ました。
新聞配達途中のランニング、新聞配達後のランニングはトレーニングになっていいのですが、帰宅して、朝食を食べて学校へ自転車で行く。それから授業、夕方から練習。練習後はみんなとお付き合い。
夜遅くなったり新聞配達にようやく間に合うような時間まで付き合わされたりでした。その睡眠不足のシワ寄せは、どこに来るかというと、授業中に来ます。
席に座ってそのまま机で寝てしまったり、下宿している友達の部屋で寝かせてもらったりと、授業に全然身が入らなくなってしまい、当然、試験はボロボロ。こんなの事では単位はとれないと、頑張ろうとしても、目がついて来ない。

主将に「勉強はちゃんとやってるか?」と、聞かれた時に、
「自分は、4年間ボクシングをして、4年間勉強して卒業します。」
と、言ったら、「馬鹿もん!学生は勉強するのが仕事や。何ぼボクシングが強くなっても、そんなんあかん!」と、本気で叱られました。それでも、僕は生意気だったので「俺はボクシングが出来たらいいんや!」と。
でも、いざ、本当に留年が確定的になってきたら、うろたえて来ました。留年したら奨学金が止まる。奨学金が止まったら、学費の足しが出来なくなり、小遣いもなくなる。
うわ~!これはヤバイと気付いても後の祭り。前期試験の散々な成績が尾を引いて後期試験はかなりの成績をとらないと駄目な状態でした。

授業について行こうとしたら、ボクシングは何があっても辞めたくなかったので新聞配達を辞めよう。
でも、そうしたら学費が払えない。だったらどうしよう?
あぁ~、しんどいよ~。海にでも言って大声で叫びたくなる、こんな毎日が続きました。
家に帰っても、口もきかず、何か尋ねられても返事は気のない返事。
楽しかった入学当時とは裏腹に、毎日が苦痛になってきました。
「仕方ない。自分が決めた道や。自分で頑張るしかない。」と、自分にいい聞かせて授業に出るようになりました。

そんな嫌な事を忘れさせてくれるのが、やっぱりボクシングでした。
ボクシングをしている時は、強くなることだけを考えていればよかったし、授業の事、お金の事なんか考えなくてよかったからです。
だから、より一層練習に身が入りました。

秋になって、近畿学生ボクシングリーグ戦が始まりました。
わが校は、Ⅱ部リーグで、強かったです。
当り前ですが、僕は一度も出場する事はありませんでした。
先輩の試合や、他校の選手の試合を見て、自分も早くあんなに強くなりたいなと、思っていました。
そして、試合を見ながらパンチの打ち方や、ディフェンスの仕方、フットワークの使い方などを素人なりに考えました。
その時に思ったのは、基本はやっぱりスタミナと手数と言う事。
スタミナのない選手は全然ボクシングの形になっていない。
自分は、あんなカッコの悪い試合はしたくないと思いました。
約4週間に渡って行われたリーグ戦も終わりました。
わが校はⅡ部リーグ優勝。やっぱり先輩は強い。誇りに思いました。

そして、それから数週間後Ⅰ部リーグの最下位校との入れ替え戦が行われました。