至誠通天

良い行いも悪い行いも、お天道様はご照覧

僕にとって2試合目

僕にとって2戦目の相手は、R大学の選手でした。
その選手は、国体や全日本選手権へ出場している選手で強い。
僕は、怖くて怖くて計量後の食事も喉を通りませんでした。
デビュー戦の後に味わった恐怖がまたあらわれて来ました。
そんな僕に声をかけてきてくれたのが、K大学のN君でした。

N君は、僕がドクターストップで出場する事が出来なかった新人戦の優勝者でした。
彼とは、決勝で当たる事になっていて、大学に入って初めてできた他校の友達でした。
僕のデビュー戦をみて、決勝で当たるのはおまえやなと、言ってくれました。
彼は、高校時代にプロのジムでボクシングをしていて、ズバぬけて強くてうまかったです。
「緊張はゴングが鳴るまでや。ゴングが鳴ったら忘れるわ。」
N君のその言葉に少し恐怖が和らぎました。

Ⅰ部リーグは、Ⅱ部リーグと違い9試合制で、
ライトフライ級1試合、フライ級2試合、バンタム級2試合、フェザー級1試合、ライト級1試合、ライトウェルター級1試合、ウェルター級1試合の構成です。
(因みにⅡ部リーグは、フライ級2試合、バンタム級2試合、フェザー級1試合、ライト級1試合、ライトウェルター級1試合の7試合制)
だから、僕はライトフライ級でエントリーされたのです。

いざ、試合が始まりました。
僕は、自分でも分かっていましたが、ボコボコに打たれまくりました。
それは当たり前です。実力が違いすぎますもの。
マチュアは、クリーンヒットが続くと直ぐにダウンをとります。
けっこういいパンチを貰っていたようにも思いますが、相手の選手にパンチが無かった事と、途中で手を抜いて休み加減になっていた事、そして、僕が全然さがらなっかた事で一回のダウンもとられませんでした。
最終の第3ラウンド、僕が放った右ストレートが相手の左耳をかすめました。
けっして、故意ではなく偶然ですが、相手が右耳から出血。
これで、レフリーストップ。試合の結果は、僕の勝利ですが勝った気には全くなれませんでした。
相手も僕が試合後に挨拶に行った時、全く関わろうとはしませんでした。
おまけに、僕はその試合で唇を切り、近所の外科病院で2針縫う始末。
麻酔をかけずに処置したので、滅茶苦茶痛かった。

団体戦としては、我校の負けで、次の年もⅡ部リーグでやる事になりました。
それが僕にとって良かったのか、悪かったのかは分かりません。
Ⅰ部リーグに上がれば、ライトフライ級で試合が出来る。
でも、その当時のⅠ部リーグのライトフライ級の選手は、全日本ランカーやそれに準ずる選手ばかりでとてもかなわない。Ⅱ部リーグだと、フライ級に増量しなければいけない。どちらにしても、楽ではなかったです。でも僕はライトフライ級でやりたかった。自分の実力がどんなものなのか、目の前の試合に勝つことも大事だが、目標はライトフライ級チャンピオンになる事。そのために怖いけれどライトフライ級で試合をしたいと思っていました。