至誠通天

良い行いも悪い行いも、お天道様はご照覧

2年目の春

かなり良い成績をとらないと、単位がとれないので頑張ろうと思っていた後期試験が始まりました。
勉強せなあかん、勉強せなあかんと思いながらも、眠気には勝てず、授業中も居眠りしていてノートもとっていない状態でした。
新聞配達は、学費を稼がなくてはいけないので辞めれない。
でも、ボクシングは絶対辞めたくない。でも、眠い。でも・・・。でも・・・。でも・・・。
そんな毎日が続き、くたくたになりながら生活していました。
案の定、試験は散々でした。
これで留年決定!!

それでもボクシングの練習は毎日通っていました。
ちょっと、今までより思うように身体が動くようになって来ると、
ますます面白くなって来て、一生懸命練習しました。
Nトレーナーのコーチもより厳しくなってきて、クタクタになって、それでもしがみついて頑張りました。
「俺は、強くなる。強くなって有名になってやる。」
いつしか、自分の気持ちはアマチュアからプロへと変わっていきました。

プロというのは、ライセンスを取ったからプロではなく、お金を稼げるからプロなんです。
もちろん、プロテストに合格する事も難しいですが、それからの方がもっともっと大変なんです。
いきなりプロの水をのむ勇気が僕にはなかったです。

 

3月末に、春合宿がありました。朝のランニングからはじまって直ぐにジムワーク。
その後、朝食をとって昼まで自由時間。午後からまたジムワーク。そして、夕方またジムワークとランニング。
その間は、新聞配達は休ませてもらいましたが、その分の給料は当然なし。
正直、苦しかったですが、ボクシングを強くなりたかったので、合宿を選びました。

合宿が終わって暫くして、新年度が始まりました。
新入部員の獲得に忙しかったです。僕は人に話をするのが苦手だったので、こういう勧誘というのは嫌でしたが、クラブを強くするために部員は絶対必要でした。
僕たちの時と同じように、新入生が来ては辞め、来ては辞めの日が続きました。
それでも「ボクシングします」と言う新入生もいて、徐々にですが部員が増えていきました。

2回生になった年の春は、トーナメント戦でした。
僕は、ライトフライ級でエントリーしました。
やはり他の階級からすると、エントリーされている選手は少なかったです。
毎日のロードワークと練習で、スタミナと手数では負けない自信がありました。
だから、このスタミナと手数で押し切ってやろうと考えていました。
でも、いくらスタミナと手数には自信があると言っても、試合前はやはり恐怖が襲ってきました。
恐怖で、胃の中のものが出て来そうになるのを必死で我慢しました。
僕の相手は、高校時代、インターハイにも出場し、高校ランキング6位の選手でサウスポーでした。