至誠通天

良い行いも悪い行いも、お天道様はご照覧

そしてⅡ部へ・・・伯父さんごめんなさい。

色々考えて自分で出した答えは、Ⅱ部へ転部する事でした。
Ⅱ部というのは夜間です。
せっかく難関を突破して入学したⅠ部工学部でしたが仕方ありません。

Ⅱ部へ転部すれば学校は辞めなくてすむ。昼働ける。夕方、ボクシングの練習が出来る。
これで、家計も助けれる。もう、これしかないと思いました。

Ⅱ部へ転部する事をきめて、おやじと話をしました。
おやじは「すまんな。それでも、おまえがそう決めてんやったらそうせぁ。」と、言った。
あまりに愛想のない答えだったので、誰のせいでこうなったと思うてんねん。
と腹が立ったが、おやじもそう言う言い方しか出来なかったのだろう。

数日後、伯父さんのところへ報告に言った。
「大学は辞めません。でも、Ⅱ部へ転部します。」というと、
「そうか、分かった。お前が決めた事や、しっかりやり。それでも、もし学費が払えなくなったらいつでも言うて来い。」
そう言ってくれた伯父さんの表情はとてもさみしそうでした。
横にいた伯母さんやいとこの姉ちゃんは「そんなん言わないで、おっちゃんに学費出してもろて、そのまま続けたら。」
と言ってくれましたが、僕の気持ちは変わりません。
とても重苦しい空気が流れましたが、最後帰る時には、笑顔で見送ってくれました。


伯父さん、ごめんなさい。

 

それから、年度が変わってⅡ部の授業を受ける事になりました。
やっている事はⅠ部と同じだろうけれど、なんだか新鮮な気持ちでした。
そこで新しい友達も出来て、今でも付き合っています。

昼間は、今までの測量のバイトを続けていました。
測量の仕事も長く続けていると面白くなってきて、測量士補の資格を取ろうかななんて思っていました。
いったい僕の本業は何やねん。留年して休学したので、真面に新卒では就職は困難だろうと考えて、何か技術を取得したかった。
だから化学以外でも資格や技術が取得できるものはないか、探すようになっていました。

僕がなぜ、応用化学科を選んだかというと、もちろん化学が好きだったことが大きいですが、将来、警察の鑑識課に就職したかったからです。
細かな事を調べて行ったり、化学実験で証拠を実証する、そんな仕事に憧れていたからでした。
高校時代の化学の実験も、やり方がうまく、みんなの見本になっていたので、それだったら、それを職業にしようと考えたからです。決して、テレビの影響は受けていません。

でも、本当の本当は、農業をしたかったのです。
幼少の頃は、大阪郊外の大阪空港の極々近所に住んでいました。
その当時は、大阪万博の前で、大阪空港も狭く綺麗ではありませんでした。、空港の敷地内には第二次世界大戦が終わって、アメリカからやってきた進駐軍の宿舎がそのまま残っていて、空港関係者が住んでいました。
周りは田んぼや畑が多く、そんな自然の多いところで育ったので、自然が大好きでした。
自然に親しめる仕事として農業がしたかったのです。

僕の母親の実家、つまり伯父さんのところは、大富豪農家でした。稲刈りの手伝いにも行きました。自然が好きだったからです。
農学部へ進学する選択肢もありましたが、農学部のある大学は学費が高く、新聞配達をしたぐらいではとても払える額ではなかったので断念しました。