チャンピオン村田の責任
2017年10月22日にWBA世界ミドル級チャンピオンになった村田諒太は、試合後のインタビューでこんな事を言っていました。
「これは高校の恩師が言っていた事ですけど、ボクシングで試合に勝つと言う事は、相手を踏みにじってその上に自分が立つと言う事だ。だから勝つ人間は責任が伴うんだと言っていました。だから彼(エンダム)の分の責任を伴ってこれからも戦いたいと思います。」
また、「金メダルとベルトとどちらが重い」の質問には
「金メダルの時は夢見心地だった。でも、このベルトは責任を伴う」
と、言っています。
では責任とは何だろうかを考えてみた。
行動する時に、責任がついてまわります。
勝った時 ”勝者の責任”
そしてチャンピオンになったら ”チャンピオンの責任”
負けた時 ”敗者の責任”
”責任”と言うのは、「役割」と言う人もいますが、私にはちょっとぴったりしない気がします。
選手が勝ちました。「勝つことが自分の責任です。」
選手が負けた。「勝てなかったので責任をとって辞めます。」
「立場上負わなければならない任務や義務。行ったことについて責めを負う事。」
辞書にはこのように書いています。その通りだと思いますが、辞書に書いてある事をそのまま言うだけでは説得力がないと思います。
それならばどう説明すればいいのか。責任=お互いが納得する事ではないかと思います。
ニュースでよく聞くワードに「説明責任」がありますが、まさにこれは、お互いが納得しないと成り立たない事だと思います。一方は「説明しました。」他方は「その説明は不十分で理解できない。」となれば、説明責任は果たしていませんよね。
話が横道に反れましたが、チャンピオン村田の責任とは何なのか?
エンダムの分の責任を持って戦う責任って何なのだろうか?
最強チャンピオンと称されるゲンナディ・ゴロフキンに勝つことだけでもない。
と言って、ボロボロになってもボクシングを続けることでもない。お互いが納得する事。
僕の考えるチャンピオン村田の責任は自己成長のプロセスだと。
人間性であれ、ボクシングの技術・戦略であれ、成長が無ければ誰も納得しないと思います。後退や妥協は許されない。チャンピオン村田にとっては厳しい事ですが、これは宿命と言うものでしよう。
「何をどうすればいいか」をチャンピオン村田は分かっているのでチャンピオンになれたのです。そして一生懸命努力したからチャンピオンになれたのです。
「至誠通天」良い行いも、悪い行いもお天道様はご照覧。
チャンピオン村田の責任はやはりこれからどんどん重く大きくなっていくでしよう。