至誠通天

良い行いも悪い行いも、お天道様はご照覧

プロのトレーナー時代

脊髄梗塞と言う病気になって、退職し仕事を探しだしましたが、なかなか条件が合う会社は見つかりません。病気でなくても、59歳という年齢のハンデは物凄く高く、分厚いです。ハローワークからの問い合わせ電話の時点で、年齢でダメ、病気でダメのと言われます。

私は今、出身大学のボクシング部のコーチです。コーチを引き受けてその年に脊髄梗塞になり、実際何も教えに行っていません。入院中に、OB会長に「自分の出来る範囲の事はやります。リハビリも兼ねて教えに行きますのでコーチを続けさせて下さい」と、お願いしました。その時はまだ完全に回復すると思っていたからです。でも今は歩けるものの、とてもコーチを出来る身体ではありません。「えらい事を言ってしまった」と、今は後悔しています。コーチと言う責任。重いです。ある意味、その選手の人生を左右する役目を担うからです。

今から遡る事30年目。私は大阪郊外にあるボクシングジムでトレーナーをしていました。仕事での悩みがあり、落ち込んでいた時に中学からの親友に「お前は何かやってなおかしくなる。」と言われ、もう一度自分に厳しさを求めようと会社の近所にあったボクシングジムに行きました。最初は会費を払って身体を動かす程度でしたが、自然に周りの選手や練習生たちを教えるようになっていきました。その指導ぶりを当時のジムの会長にかわれてプロのトレーナーになりました。

私の心情は「一生懸命やっている子を教える」でした。プロの選手でも手を抜いてダラダラしている奴には絶対教えませんでした。やがて、私が教えると強くなると言う風にジムのなかで評判になり、私に教えてほしいと言ってくる選手や練習生が増えてきました。私の教え方は、他のどのトレーナと比べても絶対違うところが2つありました。それは、技術を教えた後に理論を伝えた事です。なぜこう打たなければいけないのか。なぜこう打ってはいけないのか。それが理解できたら技術が身についてくるからです。「何が何でもこうやれ」と言っても頭で理解できなかったら行動に移せません。それともう一つ、その選手にあったボクシングを指導する事です。この教え方の根本には大学時代に通っていたプロのジムのNトレーナーの教えがあります。一生懸命やっていたから身についた教え方だと思います。

そのトレーナー時代で忘れられない子が3人います。その一人O君。O君は劣等感の塊で自分は何をやってもダメな人間なんですと言ってくるぐらいの選手でした。ジャブを教えていた時、初めて話をしました。「君は何でボクシングをやろうと思ったんや」と聞くと「僕は何をやってもうまくやれません。だからみんなに馬鹿にされてきました。だから馬鹿にしてきた奴らを見返してやりたいから」よくある動機です。

ボクサーは3種類のグループに分かれます。(ボクサーに限らずアスリート全般)1番目は、素質もあってやる気もある。2番目は、素質はあるけれどやる気がない。3番目は、やる気はあるけれど素質がない。一番やり難いのが3番目のボクサーです。O君はまさに3番目のグループの選手でした。