至誠通天

良い行いも悪い行いも、お天道様はご照覧

O君のデビュー戦が決まって

デビュー戦が決まったO君は、一層やる気を出して練習しますが上達はイマイチ。いつもの頭や顔をかきむしる癖は止まりません。でも、一生懸命やっているので責めるのもかわいそうになってきます。僕の頭の中でグルグル回っていたワードが一つずつ解けてきました。僕が出した答えは「どうせ試合をさせるなら勝たしてやろう。勝たして辞めさせてやろう。」でした。

僕のトレーナーとしての信条は「預かった息子を無事な身体で親御さんへ返す」です。そのための責任を自分が背負うことになります。もしケガをさせて、後遺症が残ったりしたらこの選手が可愛そうだ。だから、ケガをさせないようにしっかりボクシングを教えようと勤めてきました。それは自分が「上斜筋麻痺」という、いわゆるボクサー病で、目を手術しているからです。その手術も失敗したようで、今でも物が二重に見えます。治りません。焦点を合わせれません。もちろんそれで色々な支障が出てきます。僕は、こうなったのは自分のせいだと思っているので、ボクシングをしてこうなったしまった事を後悔など全くしていません。僕が目を手術して通っていたプロのジムに行ってNトレーナーに会った時にNトレーナーはこう言いました。「もうボクシングは辞めなさい。もう一切やったらあかん。(←もうちょっと厳しい言葉を言われましたがここでは書けません。)」そんな言い方しなくてもいいやろう、と思いましたが今思えばNトレーナーの優しさだったと思えます。ボクシングをするよりボクシング以外の道を選びなさい。Nトレーナーはそう言いたかったのです。

その教えを僕は受け継ぎました。だから、もう辞めさせた方がいい、辞めさせなければ危ない選手には、他のジムの選手にも言いました。それで怒り出す選手もいました。それでもその子の為だと僕は信じていました。

O君を試合で勝たせる為にはどうすればいいのかを考えだしました。スタミナが無いので、手数を使う戦法は使えない。まずガードをしっかり出来るように、打った後の姿勢を指導していきました。試合までの時間はそんなにありませんでしたが、出来るだけの事はしようと色々考えました。

それから他にも問題がありました。それはファイトマネーです。殆どの方はご存じないと思いますが、選手のファイトマネーは現金ではありません。チケットです。チケットを売って、その売れた分が自分のファイトマネーになるのです。だから、地方から出てきて知り合いが少ない選手や、会社に黙ってボクシングの試合に出るような選手は、チケットが売れないので、”ファイトマネーなし”で試合をしているのです。プロでありながらお金が稼げない。そんなことはさせたくないので僕が何枚かを買って自分の知り合いに売るようにして、何とか”ファイトマネーなし”の状態だけは避けるようにしました。O君も友達が殆どいないようで、チケットは全然売っていませんでした。仕方ないので僕が何枚か買って、知り合いに売りました。全部はとても売りさばけませんでしたが、トランクスやシューズを買うお金の足しにはなったと思います。